DOZAN11(ドーザンイレブン)とは? おすすめ曲をYouTube動画で集めてみた!

DOZAN11(ドーザンイレブン)とは?

ツイッターです。

フォロワーには、あの有名プロ野球選手「ダルビッシュ有」投手もいます!

 

デビューの頃

DOZAN11(ドーザンイレブン)。

 

日本人レゲエミュージシャンです。

 

レゲエディージェイ、ソングライター、プロデューサーも務め、総じてレゲエミュージシャンと呼ばれています。

 

彼の本名は、三木道三(みき どうざん)と言います。

 

道三と書いて「どうざん」と読みます。斎藤道三の「どうさん」とは読まないみたいです。

 

出身は奈良県です。

 

奈良育英高校卒業とのことです。

 

1992年頃にミュージシャンとしての歩みを始めたのですが、1993年ジャマイカを訪れたことでレゲエに取り憑かれ、帰国してレゲエDJとしてスタートしました。当時のデビュー名は三木道三。

 

1995年に最初のシングル(7インチシングル)「JAPAN一番」を「Jap Jam International」からリリースしてデビューを飾ることになります。

 

三木道三はジャパニーズレゲエ界の牽引力の一人でもあります。

 

その後もシングルを毎年リリース。

 

1996年には1年の間に数枚出すこともありました。

 

1997、98年にはFM放送風に仕上げた「MIKI FM」というCDを出します。

 

その頃から人気が出るようになってきました。

 

そのCDには、活躍しつつあった日本のレゲエアーティスト、ヒップホップアーティストたちを参加させ話題になりました。

 

CDに使われた歌詞がユニークで幅広い層から人気を得ました。

 

1997年にはプライベートレーベル「Maxin’1」を創立します。

 

それ以降このレーベルからCDをリリースすることになります。

 

1998年に全国ツアーを行い、その翌年1999年、レーベル「大和RECORDINGS」を、他のプロデューサーの一人と共に大阪に設立します。

 

やがて・・・2000年8月に、時はやってきます。

 

「斬る!ジャパニーズ」というCDを大手レコード会社、徳間ジャパンと大和Recordingsから出してメジャーデビューを果たします。

 

翌2001年には、シングル「Lifetime Respect」をリリース、発売したところ…なんと!レゲエ部門オリコン1位を獲得してしまいました。

 

ジャパニースレゲエ初の快挙です。

 

CD売り上げは90万枚にも登りました。

 

が、しかし・・・・

 

謎の休止

2002年、47都道府県ライブツアー終了と思ったら、DOZAN11(ドーザンイレブン)もとい、三木道三は突然、活動休止してしまいました。

 

「DOUZAN」の名前で、作曲、プロデュースなどの裏方系の仕事はしていましたが、顔を出しての活動は全くなかったのです。

 

長期療養、ということでしたが、彼の身にはとんでもないことが起きていました。

 

1995年、三木道三時代、そうメジャーデビューに先駆けること5年、その年の冬、サンフランシスコ滞在中のことでした。

 

友人の運転する車に乗っていたところ、コヨーテとぶつかりそうになり(いかにもアメリカ!)避けようとして、車は横転。

 

道三はフロントガラスを突き破って車から飛ばされてしまった・・・

 

もう身動き一つできない、彼はヘリコプターのレスキュー隊により救助されたのですが、その時「助からないかもしれない」とレスキュー隊員たちが囁いているのが聞こえた、それほどひどい負傷だったのです。

 

その場はとにかく命をとりとめたものの、手術を受けなければならない状態でした。

 

手術では全身麻酔を受けますが、その前に絶食をしなければなりません。

 

絶食に入る前に、本人の好きな料理が出されるのですが、たまたま頼んだキムチスープに入っていた赤身魚に彼はアレルギー質を持っていたために大変なことになりました。

 

ひどいアナフィラキーショックを起こしてしまったのです。

 

その時、症状をうまく表現する英語力に不足していたため、えらく困ったそうです。それでも、なんとかアレルギー症状を抑えてから手術に望んで、完治した、という経緯があるのです。

 

でも、事はそれに終わらず、アナフィラキーショックが元で、道三は自律神経を悪くしてしまいました。

 

それ以来、ずっと調子が悪いまま、活動していたことになります。

 

大ブレイクの「Lifetime Respect」の時も、それをひっさげたツアーも満身創痍で望んでいたことになります。

 

新しいDOZAN11(ドーザンイレブン)

2014年から、活動開始。名前も三木道三からDOZAN11(ドーザンイレブン)と改名しての再スタートです。

 

1月に「SPECIAL LIVE」開催、そして12月に「Japan be Irie」(アルバム)を出しました。

 

そしていよいよ、5年ぶりに本年2019年「『進化したジャパニーズレゲエ』を見せてやる」という心意気を見せています。

 

7月には「新しい未来へ」を配信リリースしました。

 

今回、パートナーとしてプロデューサーを選んだのですが、その人物はクリエイター集団TTEKKIE TRAXのMasayoshi Iimori。

 

彼は世界中のダンスミュージック界で有名です。

 

そんな彼はレゲエの様式美とコンテンポラリーなダンスミュージックをミックスした新鮮味がありながらも暖かさを感じさせる音楽を創り出しています。

 

またミックスエンジニアにはMiki Tunamiを加えています。

 

彼女はアメリカの女性シンガーH.E.Rのデビューアルバム「H.E.R」の制作に関わりしかも第61回グラミー賞R&Bアルバム賞を取っているほどの人物です。

 

DOZAN11(ドーザンイレブン)のおすすめ曲をYouTube動画で集めてみた!

 

Japan1番

三木 道三 – Japan 一番

三木道三時代の曲です。

 

記念すべき一枚目のCD。

 

人気を博しました。

 

むちゃくちゃやんけ

三木道三 – むちゃくちゃやんけ

1996年の曲。

 

当時の世相を大変よく表しています。

 

当時誰もが持った疑問、不満など歌に現れています。

 

ああ、こんな事件があったんだ、と思い出させてくれます。

 

斬る!ジャパニーズ

三木道山:斬る!ジャパニーズ

 

月光

月光 MOMMIN Ft. 三木道山

Lifetime Respectのアルバムに収容。

 

Lifetime Respect

Miki Douzan – Lifetime Respect (English Lyrics)

メジャーデビュー第1号の曲です。

 

オリコンレゲエ部門第1位に輝きました。

 

でもこの曲のツアーの後、三木道三は休養に入ります。

 

明日の風

DOZAN11 三木道三 復活 「明日の風」 伊勢神宮 奉納

三木道三からDOZAN11(ドーザンイレブン)に改名した第1弾「時を超え復活、伊勢神宮奉納」とあります。

 

改名後始めての演奏が伊勢神宮だったそうです。

 

伊勢神宮奉納曲とはちょっと面白いですね。

 

身体的不調もあったから、願をかけてのことでしょうか?

 

かしこみかしこみ

DOZAN11 – かしこみかしこみ

こちらもDOZAN11(ドーザンイレブン)に改名したばかりの時に作った曲。

 

日本語の選び方がきれいですね。

 

改名後に出したアルバム「Japan be Irie」収録曲です。

 

この曲も伊勢で奉納しています。

DOZAN 11 かしこみかしこみ 伊勢神宮奉納live

 

人生の美しさ

建設職人甲子園 公式テーマソング「人生の美しさ」DOZAN11 Produced by SPICY CHOCOLATE

建設職人甲子園公式テーマソング。

 

SPICY CHOCOLATEのプロデュース曲です。

 

全国の職人たちに向けた応援歌。

 

建設職人も日本の大切な伝統です。

 

こんな応援歌があるなんて、とても嬉しい。

 

大仕事

大仕事 Ooshigoto DOZAN11

2014年発売のアルバム「Japan be Irie」に収録されている曲です。

 

新しい人生

DOZAN11 – 新しい未来 [Official Video]

本年(2019年)発売されたDOZAN11(ドーザンイレブン)の最新作。

 

とてもピースフルを感じさせるレゲエです。

 

こんな曲を聴いて、人類が平和になってほしい、そんな願いをかけたくなる曲です。

 

これからも走り続けるDOZAN11(ドーザンイレブン)

DOZAN11(ドーザンイレブン)は映像アプリの会社mupic(ミュピック)で監修を勤めています。

 

mupic(ミュピック)とは画像の特徴を捉えてそこから音楽を自動再生するスマートフォン向けのアプリケーションです。

 

画像は2オクターブを範囲として4小節をひとかたまりにとらえて音楽を再生します。

 

そこに自分なりの感情(フィーリング)を入れられるし、色の選択も入れての自分の好みを生かしてアレンジできるアプリなのです。

 

musicとpictureが融合したということでこのようなネーミングになりました。

 

もともと、DOZAN11(ドーザンイレブン)の弟が、PCのソフトウェアを作る仕事をしていたため、そこから発展させて、色を音楽にして表すソフトを作りたいという望みから、兄弟で共同して兄が音楽のアルゴリズムを考案、ついにmupicの前身、PhotoMusicを開発したという経緯があります。

 

ですが、そのPhotoMusicは画面のデザインが、そして何より操作が初心者には難しかったし、PC用のソフトだったため、一般的に馴染みがよくなさそうでした。

 

そんなわけでシステム会社「ディーバ」の代表取締役の青柳臣一氏を頼んで、使い勝手の良い上高品質の製品の開発・制作に取り掛かることになった次第です。

 

現在はios向きアプリしかないので、いずれandroid対応にもする考えです。

 

これもまた「新しい未来」です。

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